花の効果・効能について調べていると行き当たってフト手にした本です。読み始めは須王フローラさんの文体に男性を感じました。インスタで話題!【Bloomee LIFE】 【本記事はアフィリエイト・プロモーションを含みます】

語気の強さがあるからです。途中で女性と知り意外感がミエルさんにありました。花を飾ると神舞い降りるのレビューです。

本著以外で著者の須王フローラさんをミエルさんは知りませんまったく。ヨーガをされている方なのでしょう。ブラフマン、アートマンという視点で語られています。本著で単語はなかったと思うけれど根っこの思想の核心概念はたぶんこの2つです。
今回は、花を飾ると神舞い降りるの読後レビューです。
人生に迷い疲れている女性が読んでみると元気になれる、そんな本です。「本来の自分」ということが繰り返し語られます。主宰の教室へ誘う導線としての役割を本著からわたくしミエルは感じました。
目次
花は特別なものではない
花は特別なものです。教会の祭壇に神父さんの脇に飾られるのかは知りませんけれど、特別な催しであればキリスト教でも他の宗教文化でも、神事やお祀りに花花は欠かせません。
他ではない花を愛でるのであって、陶器や工芸品を飾るのではありませんよね。だから花を特別視しています。

ハレの日。結婚式では洋の東西を問わず、花が特別なものだと知っているからこそ、花は飾られるのですよね。
人の死に立ち会うとそこにも花が手向けられます。恋人の誕生日に花を贈るのも、花が特別な意味があるから花を贈るのです。
ココで著者の須王フローラが「花は特別なものではない」と言っているのは、生活の普段使いとしてもっと身近にあって良い、ということです。インスタで話題!【Bloomee LIFE】
著者は、フランスの生活習慣での花の扱われ方が日本と違って良いと思った。
日本であれば、ちょっとしたキズのような状態の花は選別され売られません。
けれどもフランスでは、統一感のない、一律管理されていない、見栄えの1つ1つ違った花が多少キズがあっても躊躇されることなく売られて買われている。
パン屋でパンを買うような感覚で花屋で花を買って生活に取り入れている。TPOを大切にする日本人は、突然に何の理由もなく、花束を贈ることは変なことになっているのかもしれません。

たとえば、なんとなく花屋できれいな花があったから女房に花を買ってゆく。ということができない。受け取るホーも引いてしまう。っていうのは慣れてないからです、花に。
何の理由もなく、花を飾り、気さくに花を贈るフランスの習慣に豊かな暮らしを発見したのでしょう。

どんなふうに買っても、飾ってもいい
日本では、花は敷居が高いものになっています。仏壇などに仏花を刺すことやお盆に花を室内に沢山飾ることは例外。
華道教室で花の生け方を習ったり、フラワーアレンジの教室で学び、恥ずかしくはない花のカタチが気になる日本。無造作に花が飾られていると欠点を指摘して批判したくなるのですかね。
スーパーでも農協でもよいので、まず花を1本買ってみてください。
いつも完璧なブーケを飾らなくてもいいのです。
と著者の須王フローラさんは言います。個の「してみたい」を最優先にして良いということです。
ごもっとも。というか、ソーすると生活で何かが変わることでしょう。大賛成です。
日本は自然豊かな国ですけれど、自然から離れた都会ばかりが経済的に元気な国。その都会にも居室にも緑や花がないことが少なくありません。
ちなみに、ミエルさんの勤め先のオフィスには花も緑もまったくなし。上司は深刻で苦しそうな症状で働いています。いつも、部活の合宿場のように特訓を受けているかんじ・・・。
余裕がないから緑・花がないのか、緑や花がないから余裕がないのか。
せめて、自分の家には一輪でも花を飾る。そのホーが当たりまえな自然。人としても自然だとミエルさんも感じます。インスタで話題!【Bloomee LIFE】
花を捨てないフローリスト
売れない花。商品価値の劣った花を廃棄することは花屋の常識。
須王フローラさんは、フランスで花を捨てないフローリストに出会います。売り物にならなくなった花をそのムッシューは捨てず、作業スペースやバックヤードに置きいつも花であふれていました。
元気の無くなった花も愛でる感覚。
商売で花屋をしているけれど、お金だけの価値観から離れている感覚。生き物をやさしく扱う感性。
須王フローラさんも、楽しめるうちは工夫して飾っているのだそう。花びらだけを器に乗せるといった工夫。

十分楽しんだとおもったら、遠慮せずに次の花に変えるのだそうです。ミエルさんも似たところがあります。
多少の不具合のある花でも楽しみたい。規格外であることを瑕疵ではなく個性だと思うところがあります。
観察することでいまに戻り自分が整う
観察というのは、試験管の中身の変化をじっと見ておく、というようなことです。自己観察は簡単ではありません。

西洋由来の心理学では学べないとミエルさんは思っています。マインドフルネスは欧米で盛んですけれど、源泉は西洋にはありません。
本著では”仏陀でも2割の不安を残した・・・”という部分が引っかかりました。理論的にあり得ないからです。初期仏教は認識論であり科学的で論理的です。現代の最先端科学は仏教で説明している”色”の部分しか対象としていません。
仏陀は「2割」といったあいまいな表現はしません。何個といった言い方をするのです。
ちなみに、仏陀の語った教えは変化しながらもエッセンスは当時のままの言葉で伝承されています。
パーリ語経典では仏陀が最終解脱を終えてなお不安を2割残したということはありません。出世間という意味は通常はわからないけれど、この1語からで良いので、できれば勉強してみて欲しいですね。
神々に対する見解も全く違います。梵天はあるでしょうけれど、神々って経典に出てくる生命体は、絶対神のようなものはありません。神も生滅しているってパーリ語経典にしか書かれていないカモです。
”妖精”という言葉もたくさん本著に出てきます。見たことあるんであればイイのですが・・・。
エネルギー体はうようよいますよ。ミエルは見たことありません。あっても、非常に弱いものです、無視できるレベルです。
気にしないでドンドン自分を進めるということで良いとミエルさんは考えます。
須王フローラさんも瞑想とマインドフルネスを使って今に意識を向ける方法を語っています。
「いま」この瞬間にあることで、脳内に静寂が訪れます。
と須王フローラさんはおっしゃります。ミエルさんが語れることは、簡単に静寂にはなるまい、ということ。
昭和の頃の日本家屋の縁側で初老のオヤジはじっとしていることが日常の風景として普通にありました。
なんということもせず、じっとしている強さがあった時代があるのです。いまはじっとしていられない人が増えました。

電車の車中でじっとただボーッとしている人はホボいません。何かをしている。
瞑想やマインドフルネスはある意味では、縁側でなにもせずにボーっとしている事の先にあるもの。なので、簡単ではありません。500円から始められるお花の定期便【Bloomee LIFE】
ちなみにミエルさんはマインドフルネスの進化系核心系のヴィパッサナー瞑想を生活に取り入れています。むつかしいです。
でも、人並み以上の集中力が身に付くのでラクに生きてゆけます。他人の心理も感じるように感度が上がります。
努力は裏切らないはずなのに、望む結果が出ない理由
大学受験や資格試験の勉強をまじめにしても合格できないひとの割合の方が多いのが現実です。とはいえ、知識記憶系の学習であれば、記憶の積み重ねは比較的簡単な部類なので、繰り返すとホボ努力が実る。
おなじ教室で同じ教師が同じ授業をしていても成績に差が付くのはどうしてなのでしょうか?
生徒個人の努力があると出来て、ないとできないのでしょうか?
能力は個々で異なる。平等ではありません。
あなたはエネルギーを動かしています。結果が出ないなんてことはあり得ません。
結果が出ないどころか、じつはもっとすごいことが起きています。
と須王フローラさんはおっしゃります。

ミエルさんは、若いうちにいろいろな経験をたくさんすることで、自分の適性を知る。その適性に合ったことをすると才能があるのでかんたんに出来るようになれると考えます。
歌がヘタで作曲もできないけれど、音楽が好き。というひとが好きなだけで音楽に人生を捧げていても結果はでません、たぶん。
好きでもないけれどかんたんに出来てしまえることがあるならば、ソコで人に役立つプロになっておく。
結果って因果法則ですから、否が応でも成功を導く原因を作ってしまえば良いのです。適性のある分野で成功を導く原因を作る。すると成功します。

であっても、たぶん、成功ってたまたま成功した瞬間のことです。結果も変化します。SONYも松下電器産業も成功ばかりではないですよね。
成功を続けようとするとソコには地獄の苦しみが現れることでしょう。
本来の自分ってあるんでしょうかね?
ミエルさんは見解が異なります。ありません。「本来の自分っていつの自分だよ・・・」という解剖学者の養老孟司さんの言葉で説明できますよ。
動き変化しています。”真我”とか信じたい衝動はあるでしょう。あるのか確かめましょう。
赤ちゃんの時のミエルと小学生のミエルは違いました。小学生のミエルはもうこの世にいません。変化して無くなった。観察するとわかります。滝の流れのように感じます自分を。
魂やアートマン、ブラフマンというものにひっかかると観察を誤ることでしょう。とはいえ、現状を突破する方法はどなたにでも開かれています。
興味のあることからする、はじめる自由はどなたにでもあります。もしも、行き詰ったら思いだしてみてください。初期仏教とヴィパッサナー瞑想を。
花を飾ると神舞い降りるのレビューです。
”花を飾ると神舞い降りる” 須王フローラ著 読後レビュー まとめ ポイント5つ
- 花を特別なものではなく自然なカタチで普段使いすると生活が豊かになるでしょう。
- スーパーでも農協でもよいので、まず花を1本買ってみてください。
- 枯れかかった花でも工夫して身近に鑑賞してみる。
- 自己観察するとこれまでと違ったことが分かってきます。
- 努力すると望む結果は得られます。努力は自覚の外側で大きく実っている。
コメント